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2011/08/31 (Wed) わからない

三匹目の土壌をねらった柿柳です、こんばんは。


人生わからないことだらけである。ブログを見ていると、特定のブラウザから特定のサイトに飛ぶと、必ず文字化けすることがあった。具体的にはクリタさんのサイトと、雪見さんのサイトである。必ずだ。そのたびに、テキストエンコードをShift JISに変えて、読めるようにしていた。

しかしはたと思いついて、検索してみる。するとこんな解決法があった。
http://macfan.jp/guide/2010/10/14/safari_5_1.html

Safariでいつも文字化けだったので、この記事通り、ユティリティ > ターミナル というソフトを開いてみて、そこからコマンドを書いてあるとおりに入力すると、なんと自動的に文字化けが直っているのであった。こんなに簡単だったのか。しかしこのターミナルというソフトは使ったこともなかったぞ。コマンドを打つなんて、久しぶりだぞ。


さてもう1つ質問がある。テキスト飴のはてなアンテナである。ここは機械登録なのであり、何かがしかが更新されると、自動的に補足されてしまうようだ。本文もかなり露出する。しかしそれにもかかわらず、本文をいっさい表示しないサイト、少ししかないサイトがある。

これはどうしたことか。本文の最初の一行だけ表示を許すにはどうしたら良いのか。

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2011/08/24 (Wed) テキスト庵オフライン・ミーティングの惨劇

テキスト餡はテキスト飴だと思っていた柿柳です、こんばんは。

どちらも あ で始まる。おあとがよろしいようで。

さて、予告していたテキスト庵解散の顛末だが、まず、他人の感想を収集することから始めよう。まずわたくし自身がよくわかっていないので(といって部外者のフリをするわけだが)、予習をしないとね、ということである。

ただしその前に断っておくと、テキストは99%は不快を与えるものであり、わずか1%の悦楽がそれに見合うか、という疑問を呈しておこう。つまり、これから書いたり収集したりすることは、忘却の彼方にという人間の習性を覆す不快な行為であり、多くの人を傷つけるものであると。

そうなりたくない者は、ここで引き返してもらう方が得策であろう。














ここから先は自己責任である。

この問題のリンク集はここにあるので、便利であろう。これ以外にあるだろうか。
The Text Rises

わたくしのテキスト庵に対する二重のスタンスは、既に表明してある。それを振り返っておこう。

小説:テキスト庵オフライン・ミーティングの惨劇 (第9回連載)

再録しておこう。


柿柳1「だから、ブログを始めたわけなんだ。特にテキスト庵では温かい家族的な雰囲気があったし。ネットで起こりがちな罵倒とか無意味な論争もなかったし」

柿柳2「いや、あなたは完全な思い違いをしているね。ブログを書くことで、ツイッターでつぶやくことで、何か世界とつながっているなんて、大いなる幻想だよ」

柿柳1「そ、そんな。わたくしはテキスト庵のほんわかとした、のほほんとした、アナログ的な、幻想的共同体実在としての自己同一性(このへんが大学教授だねぇ)が好きなんだ。こんな寂しいボクも誰かとつながっていたいんだよ」

柿柳2「何人にも浸されざる聖なる領域。ブログは誰もが持っている心の壁だってことを。いかにコメント機能を付けようが、トラックバックを張ろうが、いかにツイートしようが、それは幻想にすぎない。人はしょせん、一人っきり。パソコンやケータイの前で寂しく虚しく文字を打つ、寂然の世界、諸行無常の理だよ。」

柿柳1「うそだうそだ、そんなの嘘だよ。他のすべての空間がそうでも、テキスト庵だけは違うよ」

柿柳2「テキスト庵か・・・。この文字をひっくり返してごらん。Text Annの逆、すなわちAT、Absolute Territorial Fieldのことだよ。テキスト庵こそ、個別バラバラの主体がバラバラに寂しく集計されている存在なのさ。そのブログどおしは、実は絶対的境界領域によって交わることはないのだよ」

柿柳1「そんなのわからないよ」


といった感想を2010年4月には述べておいた。解散の15ヶ月前である。そしてこれはテキスト庵10周年記念が2009年12月に開かれたのを記念して、連載された小説であった。何人かが指摘するように、この10周年の前後こそ、テキスト庵の大きな転機となったのである。

例えばこのような証言がある。

「テキスト庵が解散したとのこと。いくつかトラブルがあったようだ。詳しいことはわからないけれど、おそらくそれらの遠因は10周年記念のオフ会だったのかなとわたしは想像している。あれ以降、メンバー間の距離が縮まって、テキスト庵全体の雰囲気が変わっていった。わたしが去年末からテキスト庵を離れたのもその雰囲気になじめなかったからだ。でもすべてのものは変わっていくし、変化こそ生きている証拠なんだと思う。だから解散を残念だとは思わない。

Piccolo時代を含めるとわたしもテキスト庵には長いこと(6年ぐらい? もっと?)お世話になった。11年間つづけてきた運営者の【な】さん、本当にお疲れさまでした。大勢のためにひとつの場を運営するのは楽しいけれどどれだけ大変なことか、わたしにも想像できる。ありがとうございました。」(雪見 2011.7.10)
14番目のサンダル


この証言を聞き、わたくしはショックを受けた。雪見さんがテキスト庵で更新しなくなったことは気付いていたが、それはテキスト自体を更新していないと思っていたし、よもやテキスト庵の雰囲気が悪化したと感知したからテキスト庵報告を止めたとは想像できなかったのである。

つまり、わたくしには、10周年の前だろうが後だろうが、まったく雰囲気の変化は感じられなかった。いつもと同じように、いい加減な、アナクロな、のほほんとした雰囲気であった。

しかしこれは雪見さんだけでなく、多くの人が感知していたことらしい。その証拠に、この閉鎖騒動で、なぜ常連が沈黙しているのか、というつぶやきが多く聞かれたことである。

その中で、りなこさんは自分のスタイルを貫きながら、沈黙の理由を与えている。(ところで何で、続・なのだろう。)
続・鹿田内りなこさんのぺえじ

とこりさんも10周年オフ会には出席したようなのだが、その後、ぱったりと更新が止まっていたが、どうやらつぶやきに移行したらしい。

@tokori105


さて、ここで問題が生じる。いったいテキスト庵において、常連とは誰だったのか。わたくしの仮説は、常連の主観的存在と、客観的存在に乖離が生じていたのではないか、という点。あはは、むずかしく言っちゃったね。つまり、オレは常連じゃないよ、と思っている人でも、実は多くの人が常連だと名指ししていたこと。

常連じゃないと思っていたから、特にテキスト庵閉鎖に対しても、発言する義務は少なくともない。権利や興味はあるかもしれないけど、というところだろう。なぜこのような乖離が生じたのだろうか。

あるいは、ずばり、わたくしは常連なのか?

多くの人の認知するところ、わたくしは常連であろう。しかし主観的には、ふ~ん、ということだ。そこまでコミットしなきゃいけないの、というスタンスは、上記の柿柳2から明らかであろう。しかしわたくしとて、柿柳1を抱えているので、ゆえに、このような事後的言い訳を重ねているわけである。


さて、常連の条件をいくつか挙げてみよう。
(1)かなりの頻度で更新報告する人。
(2)井戸端会議によく書き込む人。
(3)10周年オフ会に参加した人。

わたくしはかつて、かなり(1)であったが、最近は諦めた。このテキスト庵オフライン・ミーティングの惨劇を書き上げたら、もう永久に止めようかと思っている。(2)については、その反動もあって、本体の更新もせずに、ただそこに書き込むことで生存報告していたつもりであった。それが常連と見なされるとは、不覚である。(3)に関しては、わたくしは小説なのか、現実なのか、という体裁をとっているかぎり、わたくしがオフ会に参加したかどうかは、オフ会に参加した人しか知らないのだ。


「おひとりだけ、ずっと紙袋を被ったまま参加されている方がいた。どうやって飲み食いしていたんだろう。」
エキスパート・モード


さて、実は(1)(2)(3)をすべて備えている人はほとんどいないのだ。(1)はかなりいるであろう。誰かが数えたらしいが、50人以上か。(2)は5人ほどと認識しておる(その中にわたくしもいる)。(3)は大阪が10名、東京が10名か。重なっているのは数名のみ。ただしこのオフ会に参加した人でも、あまり更新していない人も多く、たまたま参加したということもあった。それゆえ、オフ会に参加した人でも、最後までテキスト庵解散についての見解を出さない人も少なからずいた(そうした事実を指摘しただけで、それが良いとも悪いとも言っていない)。

繰り返そう。ある程度は(例えば1週間に1度以上は)頻繁に更新する50名やあるいは80名という(1)の範疇は、(2)または(3)を常連と認知しているのだが、(2)や(3)の多くは(あるいは半数は)、そう思っていないという構造なのである。

これこそテキスト庵の特徴であった。この両者に横たわる焦燥感や無意識が、テキスト庵を最終的に閉鎖に追い込んだのである。




というわけはない。テキスト庵を閉鎖したのは、運営者の判断のみである。




と断言して良いのだろうか。


つづく。(まだ続くのか)









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2011/08/20 (Sat) なでしこ凱旋試合

国立競技場に凱旋していた柿柳です、こんばんは。

いや雷雨がひどかったねえ。この中をスタジアムで観戦。ま、今までにない閣僚4人を従えた凱旋試合。天覧試合ではないのが残念だけど。なに、天覧試合を知らないと? それはそれは。

さて、この試合、なかなか見所も多かったね。なでしこジャパン対なでしこ選抜。もしこの世界一のチームを破ってしまったら、なでしこ選抜はどうなっちゃうんだろうという興味があった。

前半は日本代表が圧倒。あちらもなかなか良いのだけれど、圧倒的な存在感を持つ面々が、次々とゴールに襲いかかる。中でも先制点はすばらしい。いくつかのダイレクトパスでつないで、最後は宮間。ここからDFがぎりぎりとれなくなるのなカーブをかけたパスがきっちりと入り、近賀の先制点を生む。これはすばらしい。

その次の点もすごい。W杯ではやや控えであったFW2人が相手DFを切り裂き、最後に川澄にずばりのパス。これを待ち構えていた高度なダイレクトシュート。これだけで十分に堪能だ。3点目はずばりのFKであるが、これは相手GKのミスであろう。

しかしここで終わらない。なでしこ選抜が後半から反撃。新しく入ったFW2人が持ち味を出して、レギュラーDFが交代したこともあり、チャンスを作る。2人とも若く、この代表には入っていないが、可能性を感じさせる。世界一になった控え要員よりも、代表に選ばれなかった何人かが良い運動を見せた。これはリーグの高さを示す物であり、喜ばしい。

非常におもしろい試合であった。代表でも控えが出てくるとうまくいかないというのは、男子でもよくあること。レギュラーが図抜けているほど、顕著になる。通常は1人が抜けるので、それほど致命的な後退にならないのだ。ただ親善試合では何人もごっそり抜けるから、戦力ダウンが目立つことになる。

アジア予選はきつい。それでもやってくれるだろう。可能性を非常に感じさせる親善試合であった。なでしこリーグの可能性を見せてもらった。

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2011/08/18 (Thu) こちら亀有

眠れぬ夏の夜の…とつぶやいた柿柳です、こんばんは。

この後に、「殺人」と連想した人は、立派な岡嶋二人のファンである。なに、この人の名前を知らない? なんと幸福な人生だろう。既に解散してしまったこのコンビ推理作家の全作品をこれから読む楽しみがある。『焦茶色のパステル』『クラインの壺』など主に21作。中でも最高傑作は『99%の誘拐』『そして扉は閉ざされた』であろう。


今回は『こち亀the Movie 勝ちどき橋を封鎖せよ』を見てきた。全然見る予定ではなかったが、適当な作品がなく、検索したところ、深田恭子が出ているというので見た。そうなのである、柿柳フリークならば知っているように、わたくしは深キョンのファンなのである。

見て正解であった。何よりも単純に楽しい。香取君の両さんはよく合っている。他のキャストも漫画でよく出てくるシーンを起こせた。下町、人情、というステレオタイプではあるが、複雑な世の中、よりシンプルな方が良い。

深キョンは少し痩せたようで、わたくしとしては『ヤッターマン』の時のようなふくよかでセクシーな方が良い。女優というのは大根役者で十分であり、ただ存在感だけあれば良い。

勝ちどき、という表記は止めて欲しいな。勝鬨であろう。今回はこの橋がいったいどうなるかという話。橋が封鎖できない話は、当然のことに『おどる捜査線』のパロディだと思っていたら、どうやらこちらの映画はフジテレビではなく、TBSらしい。これもおもしろい。

子供時代、下町、約束。そんな三題噺だ。見て損はない。

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2011/08/16 (Tue) 復讐する操作

今日も元気で夏ばての柿柳です、こんばんは。

いやあ、テキスト飴のあめって字の旧字が出ないで困るよね。江草さん、どうも登録ありがとう。ま、別に登録せよと主張したのではなく、一番最初に自動的に登録されたような気もしていたのに、いつのまにか消えたような気もしたので、疑問を呈しただけですよ。この辺がひねくれている気質が全開だけどね。

はてなアンテナという仕組みが全然わかっていないのだが、あまり良いシステムではないようだね。自分の意思とは関係なく、自動的に拾われるものであり、しかも本文全体がかなりの部分まで自動的にさらされてしまう。この辺が前のテキスト庵の自分で一行更新報告する体制と、まったく違っている点であろう。ま、だからなんなのさ、ということだけど。

それはそれとして、『復讐捜査線』を見てきた。今回も特にこだわらず、時間が合ったものに行っただけ。たいして期待もしていなかった。ただメル・ギブソンを久しぶりに見るなという気持ちだけ。刑事の役というから、またまたはちゃめちゃな最終兵器になるかと思っていたら、さすがにもう年なので、もっと落ち着いた役柄になっていた。

ただ映像がかなり衝撃的なので、心臓に悪い、陰謀の種類もまあいいような気もしたが、もう1つか。単に男親と娘の追憶の記憶ということろだろうか。娘がいる人にはよくわかる気持ちかも知れない。

まあそれでも、そこまでおもしろくなかったな。800円ぐらいだろうか。

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2011/08/12 (Fri) 雑感の果てに

真夏の夜の階段を、と呻いた柿柳です、こんばんは。

おやおや、いつの間にか、更新するテキスト庵がなくなっちゃったじゃないか。ほんと、更新する気力がますますなくなってくるねえ。まあ、最初からやる気はないけど。ところでボクちゃんのブログはテキスト飴だの、テキスト伊織だの、登録されてないのかねえ。


テキスト庵に君臨する奇才、はたまた単なる変人と言われたわたくしのこと、今回の騒動、しかと解釈してみたい。どうも謀略ではないか、と推測するのは、わたくしがひねくれ者であるからであろう。しかし世の中、ひねくれないで何とする。

ま、ただあまり思いつかないので、今日はもう寝ることにする。

つづく、かも。

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2011/08/10 (Wed) テキスト雑感

テキストとは、99%の不快と1%の愉快を生み出す空間である。
  ーバートランド・ラッセル

テキストとは、時代精神を体現した仮称物である。
  ーフリードリッヒ・ヘーゲル


なにやらテキスト界隈が騒がしい。いつの間にか、テキスト飴なる構築物ができた模様。これにはわたくしも入っているのか? 登録制なのか? よくわらかない。

しかしテキスト界隈を震撼させた出来事に関して、わたくしの意見を開陳する時は近いであろう。再び、フィクションの形でやるか、それともノンフィクションでやるか、考えどころである。

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2011/06/27 (Mon) 黒い白鳥

早くも夏ばての柿柳です、こんばんは。

最近、というよりここずっと、人生全般に関してやる気が出ないので、映画を見ることにした。あ~あ、無気力だな、毎日が日曜日。

Black Swanである。ずいぶん前から見ようと思っていたのだが、どうもサスペンスっぽくて、気力が萎えている時には落ち込んだり怖くなってしまうのではないかと思って、敬遠していた。ようやく少し時間ができたので、満を持してスクリーンへ。

最初の場面もバレエから始まる。そのカメラワークと音響を体験して、これは大変な映画だとすぐに確信する。肉体の限界に迫るバレリーナの躍動する動きを、非常に近接してカメラに収める。見事な始まりだ。

白鳥の湖。誰でも知っている話であり、誰でも知っている踊りであり、誰でも知っている音楽である。その当たり前を、衝撃的な映像に転嫁させ、圧倒的な存在感の音楽で添える。そんな映画である。

主役のナタリー・ポートマンは圧倒的な存在となった。レオンの少女役から、スターウォーズの王女役へ、次々と主役を射止めて。現代を代表する女優になった。その中でもこの映画は代表作となる圧倒性を持っている。

白鳥と黒鳥。正確性と妖艶さ。どちらも持っていないと人々を感動させられない。正確性を持つ白鳥は、どのようにして黒鳥を演じることができるのだろうか。そこに葛藤がある。妖婉さを引き出すために、やがて白鳥は現実と幻想が区別付かなくなることによって、黒鳥の妖婉さを引き出すことに成功する。

圧倒的な映像である。映像と音響がみごとに混合した映画である。

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2011/06/25 (Sat) オリンピック予選

灼熱のクウェートにいた柿柳です、こんばんは。

サッカーは予選が一番おもしろい。

オリンピック二次予選、今までにない形式の試合。ホーム&アウェイというこの時期ではありえない方式。この時期にこのレベルの相手と当たるのはあまりない話。ホームでは快勝したが、アウェイはあまりに遠い。中3日で時差6時間。ただしあまり悲観はしていなかった。

まず審判に注目。レベルの高い審判にぶつかれば、スマートな戦いの日本はそれだけ勝てるようになるのだ。実際、ホームでは中東の審判だったので、かなり不利な判定をされていた。今度はウズベキスタンの審判。アジア最高の称号を持つ審判だ。これは良い。勝つなと確信する。この審判を当てるというところに、日本サッカー協会あるいは東アジアサッカー協会の発言力があるということになる。

しかし灼熱の中東はサッカーをする環境ではなかった。常に40度。あまりに暑く、日本だけでなく地元のクウェート選手も次々とばてていく。これではサッカーにならない。それでも最低限でも引き分けにならなくてはいけないのに、逆転負け。今回はかろうじて次のステージに進めたが、今後には赤信号だ。それは今後、クウェートと対戦する時の心理状態である。ここで追いついて、あるいは勝っておけば、絶対的な苦手意識をここ数年は絶対に与えることができたのだ。

これで12カ国が残った。そのうち中東は7カ国。中国と北朝鮮が負けてしまったのが大きい。東アジアの地区が勝ち抜かないと、こちらの有利な日程や地域にならない。この意味で今回は残念だ。確かにシード国の中国が抜けたので、韓国とオーストラリアに当たらなくて済んだのは良いのだが。

暗雲がこめた最終予選である。今回は4番目でようやく勝ち抜けそうな予感だ。

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2011/06/23 (Thu) 素直な戦士たち

北の教官に共感した柿柳です、こんばんは。

北の教官とはhttp://d.hatena.ne.jp/toshikk/20110623/1308802433の教官であり、バトルロワイヤルにおける北野教官ではない。もちろん共感と叫喚を掛けている。阿鼻叫喚である。

北の教官によれば、最近の学生は素直だそうだ。わたくしも似たような感触を得ている。どうも誘導に引っかかりやすいのだ。「何をやったらよいかわかりません」というので、「(もちろん今から言うのは例示だが)~~という視点もあるんではないの。もちろん違う方法もあるだろうけど」などと答えると、「~~」だけやってくるというようなことがよくある。

こりゃ、国際競争には負けるよな。確かに昔よりも、国際競争を意識せざるを得なくなった。どんな場面でも統一統一また統一。世界標準だの、という基準がはびこっていて、そちらに合わせないと息絶え絶え、合わせても絶え絶えという世界である。

そんな場面で、「何をしたら良いかわからない」子羊たちが、ちょっとの誘導で右往左往という場面が多くなれば、世の中はもっと暗くなる。暗さの一因は単に景気が悪いとか、政治が悪いということではなく、何をしたら良いか分からないし、何かにすぐにすがりたくなるという心性にあるだろう。

こんな時は、叡智にすがるのが良い。孔子様も言っておる。

「学びて思わざれば則ち罔し、思いて学ばざれば則ち危うし」
「学べば則ち固ならず」


個人的には「君子に三戒あり」が好きである。自分がどれも守れないからである。ちなみに三戒とは、若いときの好色心、壮年の闘争心、老年の執着心である。

ちなみに、「素直な戦士たち」というのは城山三郎の小説の題名である。

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2011/06/20 (Mon) 霞ヶ関のドブネズミ

今日もあっほら、よいよい、飲んだくれて酒の飲まれて、女と泪の柿柳です、こんばんは。

久保田祟『官僚に学ぶ仕事術』マイコミ新書、2011.5 読了。


内閣府に勤める役人の新書。マイコミ新書って何よ、と思っていたら、毎日コミュニケーションだそうだ。求人広告?で有名。その割にには新聞社の悪口も書いてあった。1976年生まれで、京都大学人間科学部そつ。この学部って何だろう。よくわからない。それでも法律職で受かっているから、試験には強い。

さて官僚の生態は、柿澤弘治『霞ヶ関3丁目の大蔵官僚は、メガネをかけたドブネズミといわれる挫折感に悩む凄いエリートたちから』で赤裸々となっているから、それほど新しい情報があるわけではない。相変わらずの残業残業これ残業。国会運営の待機がすべての元兇。こんな周知の情報なのだが、実は知っている人もごく少ない。事務次官と事務官の違いもわからない人が大半だそうだ。あっそ。

ニート関係のNPOにも関連し、また若手霞ヶ関改革の会も入っているらしい。

第1章の「霞ヶ関で求められる仕事術」が反面教師。いかにつまらない省間交渉が官僚を疲弊させるか、そして国家議員の法律作成能力の無能さがあからさまとなる。まあこの辺も旧知の情報。昔から変わっていない。割合におもしろかったのは、その後の心身術、英語術、読書術、プライベート術といったところ。この辺は新しい官僚を予感させる。

若い官僚は既に天下りの絶望があるので、それ以外の活路を求めているのだ。中でもイギリスにMBAを取りに行った話はおもしろい。各国から集まった同級生がいかにすばらしいか、そこから新しい生活が見えてくる。つまり積極性、肯定感、私的楽しみ、というところだろうか。すべて日本に欠けたスタイルである。

国会答弁作成のプロセスは、質問されてからではなく、その前から始まっている(25)。メールは件名が大事。時にはファックスを使え(72)。自分から情報を発信することは、面倒さを除けば良いことだらけ。実は情報が集まってくる(80)。

英語のプレゼンは1行6字で1スライド6行まで。ただし最後はスライドではなく、自分自身がプレゼン対象(93)。全国の20-30代のビジネス人は年に3.1冊のビジネス書を読む。4冊読めば平均以上だ(104)。テレビや新聞を見るな。ネガティブな情報ばかり。偏った情報ばかり。気が滅入る(116)。

外国人との意思疎通は、英語の発音というよりも、相手の名前を覚えること、会ったらニッコリ笑うこと、の方が重要(123)。英語での質問力は、語学の問題というよりも、問題意識の差にある。興味ある論題を間髪入れず質問(157)。

課外活動で気をつけること。本業での成果を人並み以上に出しておくこと(181)。日本病=日本や自分の欠点ばかりを探す負の心理的傾向(185)。

努力少なく節約できる部分は固定費=家賃、保険、車。節約の実り少ない部分=食費や光熱費(198)。他人を説得して変えるのは無理。変わったように見えても、実はその人々が自発的に変わっただけ。自分の外部は変えられないと悟れ。それよりは自分の思考や感情こそが変えられる、制御できる(205)。

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2011/06/17 (Fri) 阪急に載る

阪急電車に乗ってみた柿柳です、こんばんは。

あっと、訂正するぜよ。『阪急電車』という映画を見てみただけぜよ。ぜよ、って何だぜよ。

阪急というとブレーブス、ということしか思い浮かばない。タカラ図化、いや宝塚も関係しているのだろうか。この辺はよくわからない。というわけで、阪急電車が何を指すのか、よくわからない。今回の映画はその中でもローカル線のような支線だったようで、これまた何を指すのか、よくわからない。

しかし土地についてはよく分からない方が良いのだ。それと映画は関係ないのだ。

有川浩、という男の作家が作者である。もちろんウソで、女の作家である。名前をサッカクしてしまったではないか。性別誤認トリックと言うべきだろうか。

この人の本は既に『図書館戦争』やらで読んだことはあった。そして最新作?だかの『県庁 おもてなし課』も読んでおいた。この人、関西出身じゃないじゃ~ん。じゃ~ん、なんて今時、横浜でも言うのか。じゃ~ん。高知主神である。そして高知の話であった。

さて、阪急列車である。これは小さな女の物語である。決して小さな女ではない。小さな物語である。日常から2メートルほどの物語である。そして男の話は大きなホラ話である。SP革命編がそうであった。なにやら地に着いていない、理想ばかりの大がかりなプロット。これが男の典型だ。

それに対して、この原作は徹頭徹尾、女しか出てこない。幼稚園児、小学生、高校生、大学生、30過ぎたOL、40過ぎた専業主婦、そして孫娘を叱咤するおばあさん。それぞれの女の意地が炸裂し、電車の中で交錯する話である。

犬を飼いたい孫娘。いじめにあった小学生。馬鹿な社会人カレシを持つ高校生。DVの情けない男がカレの女子大生。オタクとウイウイシサの女子大生。後輩を寝取られたOL。厚顔ばあさんにつきあいたくないOL。そして嫁と疎遠なおばあさん。

中でもおもしろかったのはウイウイシイ、田舎もんの女子大生である。よくもまあ、こんな田舎くさい女を捜してきたもんだ。みんなモデル顔、つけまつげバクバク顔、なのに、この人だけ高校生が頑張って大学に行っているような風情。とにかく顔がでかいのだ。それが他の女優と違うのだ。

他の話もおもしろい。わずか15分の片道で交錯する人生模様。男に振り回されていた人生をあっさりやめて、しなやかにしたたかに生きる女群。そうした小さな話の物語である。

少し気になったこと。この関西弁は本物なのだろうか。関西弁は真似しても習得できない言語である。それよりは生粋の神戸人、大阪人をキャストにすべきだろう。

この映画は原作を同じように、おもしろい。涙が出ること請け合いである。

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2011/06/15 (Wed) 法廷推理

へろへろになった柿柳です、こんばんは。


テキスト庵界隈で、「戻ってきてくれ柿柳」という声が絶賛発売中だったので、あえて別名のブログを休止し、こちらに戻ってきた次第である。やっぱり期待されるってありがたいですな。

http://tkj.jp/book/?cd=70836401

「このミステリがすごい 大賞」というのがある。国内賞金最大の1200万円をくれるという宝島である。この大賞を取ると文庫版がでる。余りたいしたことがないノアールものが多い。たいしておもしろくない場合が多い。どうも浮ついたガサガサした作品が多かった。途中で読むのを止めたのも複数。

しかし本作は違った。まっとうな法定推理である。感動を呼ぶ。最近はやりの少年法どうよ的な涙頂戴ものとも違う。ただし交通事故の話を扱っている。きちんと技巧的なミステリになっているにも関わらず、さらにきちんと丁寧な人物造形になっている。

ミステリ読みとしては、どうしても不自然な記述に注目せざるを得なかった。そしてそれが驚きのキモになるのだろうと予想していた。そしてその通りにはなった。不自然な記述だったからである。しかしそれがわかっても、物語を盛り上げる文体は変わらない。

この人はデビュー2作目であるが、こちらの方が評判が良いようだ。大逆転の裁判ものを味わいたい人は、ぜひ読むべき注目の新人である。

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2011/06/14 (Tue) 変数が1つの映画

1週間のご無沙汰でした、8時半の男、柿柳です、こんばんは。

ま、このフレーズを聴くだけで、だいたいの年がばれてしまうよねぇ。さて、このわたくしめ、なぜ今日の柿柳を書いていなかったのか、まずは軽くクイズといきますか。

(1)党員停止30日の刑だったから。
(2)遠い星へと旅してみたいの。
(3)他人名義でテキスト庵に出入りしていたから。
(4)単に忙しかった。暇だけど。
(5)この中に正解はない。

正解はコメントの中で。

さて、映画を見てきた。『X面 第一世代』である。原題を見てみたら、X men: first classとなっていた。ビジネスクラスの上ということだろうか。

このシリーズは見たことがなかった。CMで散見するほどである。どうも荒唐無稽な変身ものには触手がなかった。しかしどうにも映画を見に行く必要があったのだが、見たい映画は場所や時間で合わず、ちらっと見たあらすじで見ることを決意した。

これがキューバ危機を扱っているからである。この歴史的事象をどのように描くのか。潜水艦を引き上げてしまう場面だけはCMで流れていたので、さてさてというところであった。

結果的には非常に良かった。笛吹きさんが好きな古典大学も出てくるし、ナチスドイツも出てくる。そして今はまったく描かれなくなった冷戦時代のソ連の荘厳さが出てくる。これだけで十分に楽しい。ケネディの実写も使われているし、何しろ楽しい。

ミサイルが降ってくるシーンは圧巻である。最初のCIA女潜入官の下着姿も良い。

見所満載である。

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2011/03/26 (Sat) 英国王のスピーチ

エア管理者の柿柳です、こんばんは。

エアですからな、空気が大事なわけですよ、空気、雰囲気、大気、気体。

過日、『英国王のスピーチThe King's Speech』を見てきた。タイムリーな話である。国王は単なる象徴であり、実質的な権力はない。しかし有事に於いては、実質的な力を持てる。劇中でジョージ5世が言う。「我々は国王を演じているに過ぎない。」 それだからこそ、マイクの前で、全国民の前に、言葉という贈り物を届けることができるのだ。

ワイヤレスと言っていたラジオ放送である。この技術革新が国王の権力を変えた。今までは戴冠式などの豪華絢爛のみが王族の装飾を伝えていた。しかしこの発明によって、直に声を届けられるのだ。玉音放送とはこのことだ。

しかし図らずも次の国王になる運命に。兄は女たらしで親ヒトラー。こともあろうに、イギリス国教会の長たるものが、アメリカ国籍のしかも離婚夫人とスキャンダルな関係に。兄は1年未満で首相の説得により退位。あとは弟が継ぐしかない。

しかし本人はどもりだ。何度も演説するが、そのたびに国民の失望する顔が増えていく。妻エリザベスは献身に支え、オーストラリア人の言語療法士に助けを求める。平民1人と国王の対峙。なぜどもりがあるのか。それは幼児期のつらいできごと。それを言語化しないと、あふれることばが出てこない。

見事な映画であった。見所が多い。映画の前半と後半では、使われているクラシック音楽が違うと思う。前半はモーツアルトで、後半は荘厳なベートーベンではないか。役者もそれぞれ本当に演じている。何よりも、実在する政治家たちが非常に雰囲気が出ていた。チャーチルも、チェンバレンも、ボールドウィンも。見る前のその肖像画や写真を見ておくと、感涙するだろう。

エリザベス役の人はついこの間、『ハリーポッター』で魔女役として活躍していたが、なんとアスキス首相の曾孫らしい。すごいね。ジョージ5世役もダンブルドア校長だ。

人がなぜその人の演説を聴くのか、感動するのか。それは内容だけではない。日本の政治家の場合は、まず内容原稿にプロをもっと雇った方が良いと思うが、それだけではない。全霊を傾けた言葉、経験に基づいた木訥な言葉、レトリックの練られた言葉、明快で論理的な言葉、こうした言葉群のそれぞれが人々に良い評価を与える。

何を言ったか、というよりも、誰が言ったか、という場合も多い。

その意味で、演説は極めて危険である。信頼に足ると勝手に多くの人が思う言説が、必ずしもその後、良い結果を導いたと歴史的に評価されるわけではない。最も演説のうまく、誰でも感動したヒトラーの例を見るだけも十分だろう。

かように演説は怖い。それゆえ、教訓としては、一見、頼りない演説が、なぜそのように感じ取ってしまうのかという内省につなげるべきということだろう。

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