成年が18歳になると聞いてびっくりした柿柳です、こんばんは。
わたしは成年を30歳に引き上げるべきと思っている。
何しろ孔子さまも言うじゃないですか、男子30にして厨房に入らず、って。あれ、違ったかな。孟子だったかな。子牛かな。
ははは、もちろん、われ三十にして立つ、という格言じゃよ。あの立派な孔子さまさえも、30歳になるまでは一人前ではなかったのだから、まあ未成年と同じことじゃろ、ということである。
そしてわたくしはもう1つの案をもっている。30歳未満でいちはやく成人になりたい人は、成人検定に合格すれば良い、ということにすれば良い、ということだ。
そしてこの成人検定は文部省のお墨付きなのだ。いちおう民間会社がやるのだが、役人の天下りをありがたく戴いて、徹底的に私腹を肥やす独立法人になるのだ。70%が合格ラインなのだ。
さ、どうだろう。この二重改革。成年の引き上げと、限定的解除。われながら画期的な案だなあ。どこかの政党がこの案を買わないだろうか。いくらでも売り渡す覚悟ぞよ。
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管理か運営か、それが問題だと思った柿柳です、こんばんは。
いやだなあ、みんなして古参であるところのわたくしを騙そうとするなんて。エヴァがいつの間にか使徒に征服されたようなもんですよ。
本日も快晴なり。
それにしても暑くて、思わず水分を多めにとってしまったら、逆にぐったりと疲れて、今日は仕事にならないなと思って、逃げてきましたよ。
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ロッテリアに出陣した柿柳です、こんばんは。
何しろ、新しく絶妙バーガーというのが出たらしい、と聞いたのである。こんなテレビをまったく見ていないわたくしが、どこでこんな情報を仕入れてくるのだろうと感心している。前には絶品バーガーというのがあったそうな。1回食してみたそうな。そして第2弾で絶品チーズバーガーというのがあるのは知っていた。
というわけで、わざわざ遠回りして、ロッテリアに行く。絶妙君を食ってみる。確かに手間暇かけてある。野菜のしゃりしゃりが良い。1つでは足りなかったので、絶品君も食ってみる。こちらは調理の仕方が悪かったのか、やややっつけ仕事のように見えた。野菜がない。
というわけで、絶品バーガーの方が絶品だったな、という感想であるが、まあ絶妙もよろしいな、という具合であった。360円である。昔のビックマックと同じ値段だと思えば、思えば遠くに北門だ、といったところだろうか。
そして何よりも、絶妙君は返金可能なのである。しかし半分以上食うと、返金されないのである。しかもアンケートに答えなくてはいけない。さて、まずいと言い張って、360円を返してもらおうかと、日頃は軽蔑するクレーマーと化すかとちょっと迷ったが、とりあえず、面倒なので、そのまま店を出た。
今日も快晴であった。
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千澤のり子『マーダーゲーム』講談社ノベルス 2009.7 読了。
二階堂麗人が褒めていたので買う。しかしこちらの頭が悪いのか、ゲームのルールがよくわからず、確かにサスペンス風味に盛り上がっていたのだが、よくわからないというのが感想だ。
「汝は人狼なりや」というのが、本家のカードゲームらしい。しかしこれも想像がつかない。犯人を当てればよいのだが、その手続きがわからないということ。さらに改良された今回のマーダーケースでは、実際に犯行が行われる必然性はなかった。しかし、ゲームのルールを熟知した人が、次々と過剰な犯行を重ねていく。果たして真相は何か、という話。
小学校が舞台。すべて忘れかけている会話が成立。子供っぽい男子。派閥化している女子。確かにそれはリアルではあるのだが、登場人物の棲み分けができていないので、ダレがダレやらまだわからない。ここを磨けばもう少しよくなだおる。
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酒に飲まれている柿柳です、こんばんは。
何か、人生いやなことがあるのか、酒を飲まずにはいられない。ま、飲まないと手が震える、というレベルにはなっていないが、かなりダメなレベルでもある。晩酌の場合は、あっさり一杯で終わるのだが、集団で飲む場合は、なぜかもう一杯、もう一杯、という具合につながっていく。
どうすれば良いだろう。そういえば、きちんとした生ビールをサーブしてくれそうなバーに入ったにもかかわらず、どれもこれも瓶から注いだものばかりであった。がっくりである。やはり事前によく情報を仕入れておかないといけない。
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夏期研究期間への突入はまだまだの柿柳です、こんばんは。
先日の三連休の普通の大学教員の過ごし方。
(こんなに の を入れてはいけない いけない文)
1日目(土):大学院特別入試で面接委員
2日目(日):オープンキャンパスで焼きそば焼き係
3日目(祝):通常の授業日
というわけである。むかしは文系の大学といえば、時間に余裕があるというので有名だったが、いまは外形標準がきつくなっており、8月初旬まで授業が入っているケースもあり。多くは7月最終週まで授業。そこから試験期間。7月20日の前で終了してしまう小中高よりも、よっぽど学校に縛られる存在になった。
ちなみに夏期研究機関というのは、授業や校務が激減する期間に、趣味であるところの研究を行う時間。これがなくなったら、大学の授業すらできないという仕込みの期間である。ま、仕込みなしで授業ができるのだったら、きみ、やってみなさい。90分1回で、違う聴衆に向かって、同じことを使い回しするのではなく、90分の30回を体系的に、同じ聴衆に向かって講義するのだよ。
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梅雨中の柿柳です、こんばんは。
とにかく歩行中の携帯いじりは止めて欲しいよねえ。さらに一番危ないのは、自転車に乗りながらの携帯画面。みんなどうしてそんなに携帯ばかり見ているのだろう。そんなにおもしろいことがあるのか。わたくしは1日に1回しか見ないよ。
とにかくのろのろ、ふらふらと歩いていたり、走っていたりするならば、携帯凝視を疑え、という時代になった。世知辛いものである。
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ルパンをつかまえるのは、ハワイじゃなくてヨーロッパだったな、と思い直した柿柳です、こんばんは。
トリスを飲んでハワイに行こう
というのが正しい本歌。それをもじったのが、まさにルパン三世第1期の黄金テーマであった。それをさらにもじるのが、グリコ森永事件の犯人である。まこと歴史の連鎖というのは因果である。トリスとは何か、なぜハワイか、という諸君は、ただちに「昭和の世相」などという本をひもとこう。
実はこの本歌はわたくしも当然にリアルタイムではないわけだが、本やら映画やらニュースやらで、追体験することによって、自分の頭でっかちな知識の一員としたわけである。つまりこれらの媒体は、自分の未熟な体験を、制限された知能を、拡大させてくれる機能を持つのだ。それゆえ、学生よ、君たちは追体験をする必要があるのだ。
文学に親しむ1つの効用は、世の中にこんなひどい奴がいるのか、こんな悲劇があるのか、という驚きをあらかじめ自分の頭に仕込むことであろう。それによって現実の厳しさに対処する余裕を持つことができるのだ。つまり、現実がつらすぎるとお嘆きの貴兄貴姉に、そのつらさを緩和する働きが、元来の文学であり、歴史列伝であった。
まあ、そう考えればこうした人文科学の有用性も少しはあるだろうということ。
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日本ハムが婚カツシートを提供したというニュースに反応した柿柳です、こんばんは。
このシートは盛況であったらしい。200組だか250組だかの男女のうち、結構な人々がカップルになったらしい。まあ単にアドレスを交換しただけかもしれないのだが。
そのとき、ハタと膝を打った柿柳であった。これはうちの業界に使えるぞ。ご多分にもれず、わが業界も人材難である。自分がいちばん人材難であることは棚に上げて、とりあえず自分以外の人間は使えなくて困る。まったく最近の老人と若者は、と嘆きたくなる気持ちもわかる。
そこでだ、婚カツを有利に展開できる業界である、分野である、とアピールするのはどうだろうか。男女比が崩れている学会では、まず少人数に陥っている方を増加させなくてはいけない。入会の段階で、圧倒的に差を付けてしまうのだ。その後、徹底的に婚カツ活動を推奨する。いわく、学会に来たら、自称若手の男女がつどい、ベテラン司会者の手練手管によって、いきなり合コン状態になるという懇親会へ。ベテランたちには金を出して、どっかで「最近の若者は・・・」と管を巻いてもらう。あとは婚カツ中の中堅・若手をかっさらって、とにかく一堂へ。
ルパンをつかまえて、ハワイに行こう
というスローガンがかつてあったが、それを復活させる。
学会入って、婚カツしよう。
お粗末でした。眠りながら書くと意味不明になる。
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「ハリーポッターと秘密のプリンス」を見てきた柿柳です、こんばんは。
何しろ超大作は見逃さない柿柳ですからね。さっそく見てきましたよ。
さて、第6作目である。原作はもう第7作まで出ていて、熱心なファンはすべて結末を知っているわけである。わたくしは不熱心なファンなので、原作は読んでいない。今日ガイド本を見ていたら、あやうく結末すべてが図解してあるページを読んでしまうところであった。
さて、第3作だか4作目あたりから、徹底的に暗い話になってきた。作者も言っているように、魔法使いのおとぎ話に胸躍ったのは最初の年だけなのであり、その後は魔法界といえども、人間界と同じくどろどろとした世界であるということ。もうファンタジーはないのである。
さて、またまた暗い話である。今回は裏切り者がどうやら判明するらしい。どうやら大事な人がどうかなってしまうらしい。謎のプリンスが誰がわかってしまうらしい。さてどうする、ハリー。
さて、明るい話題も当然にまぶしてはある。恋バナである。前作までハリーと相思相愛だった中国系の彼女はどこにいったのだろうか。新しい恋が始まりそうだ。そしてみんなの国民的美少女、ハーマイオニーとロンの行く手を阻む、新たな強力なライバルとは。久しぶりにカレッジどおしのスポーツ競技も登場。
さて、最大の疑問がおこる。いままでの5作でいろいろと話が進んできたはずなのだが、それらを使って悪い魔法使いを破る、という方向性が出てくれないのだ。今回はまったく新しい方法で敵を破る、という趣向が用意されている。それはそれでいいのだが、今までのは何なのだろう。例えば前作で結成した騎士団はどうなったのだろう。炎のゴブレットはどうなったのだろう。魔法省は何をやっているのだろう。などなど。
さて、とすると最大の見所は、ハーマイオニーのクリスマス・ドレスであると断言してしまおう。大人の魅力充分である。
さて、もう3人とも子供じゃないんだよね。あとの2作はどのように着地させるのだろうか。
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万城目学『ホルモー六景』角川書店 2007.11 読了。
最初は「ホルモー?」なんだ、そりゃ、と敬遠していた作品であった。もちろんやや流行っていたことは知っていた。しかし映画化を期に、読んでみるのも良かろうということで、前作を読んでみた。良い。
この人は書ける才能を持っている。将来、必ずしや直木賞を取るであろう。まずその前に、吉川英治新人賞を取るであろう。そして山本周五郎賞も取るであろう。それほど、人々を説得する文体になっている。実際、今回も2回連続して直木賞候補であった。
なぜこのような文章を書けるのか。1つにはわかりやすさ。まったく奇をてらってはいない。もう1つはそれにもかかわらず、じわじわとくる感動。プロットが良いのであろう。京都大学法学部卒という頭の良さには申し分のない出生。それに加えて、何かしら深いものがある。
今回は、ホルモーの後日談であったり、スピンアウトであったり、外伝であったり。とにかく前作をきっちり読んでいないと、その人物関係がわからない。それぞれ独立した短編集。6つともいちいち切なくなるような小さな恋の物語。
特に凡ちゃんが出てくる第2章、もっちゃんという謎の人物が出てくる第3章、ちょんまげ君が出てくる第6章が秀逸である。もっちゃんの正体にはびっくりさせられた。ミステリで言うところのレッドヘリングが使われているので、途中まで何のことやらわからないのだ。そして丸善が出てくるあたりで、なるほどと思わせる。そして最後はホルモーの世界観に引きつける。さすがである。
丸の内サミットもおもしろい。今までのホルモーはすべて京都の話であったが、初めてのアウェイ。しかも東京。偶然の再会になるか。どれもいままで意識していなかった恋心が顕在化してくる切なさへ。
どれも味わい深い。徹底的に買いであろう。
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月本洋『日本語は論理的である』講談社選書メチエ 2009.7 読了。
評価しにくい本である。トピックとして興味があったので、買ってすぐさま読む。積ん読が多いので、こんなことは珍しい。評価しにくさの最大の理由は、言葉の定義があいまいであり、まさしく論理的思考がトレースできない点である。それにもかかわらず、部分的にはその方向性を大いに買いたいからである。
筆者の研究動機としては、「日本語は非論理的であり、英語に追随せよというのは自虐だから、それをなんとか覆したい」ということ。しかしここの認識がまず間違っている。ほとんどの人が「日本語は非論理的である」となど、思っていない。単に、「英語と違う論理がある」と漠然と感じているだけ。
筆者の結論は「日本語は論理的であるし、それは特殊でもない」(26)である。しかし後段に関して、「日本語は、世界の他の言語の中で、母音をもっともよく発音する言語」(179)という具合に、その特殊性をもちあげているではないか。それを根拠に、小学校の英語教育を否定しているではないか。この論理的齟齬は何なのか。
そして最大の難点は、何か「論理的か」が非常につかみにくいのである。どうやら形式論理、つまり数学で用いられる論理(3)のことを意味するようである。それゆえ、日本語も英語も形式論理に置き換えられるので、どちらも論理的で同じ系にあるらしい。
しかし「論理とは比喩の形式である」(28)というあたりからついて行けない。想像可能性と記号操作可能性という2つの理解がある(32)のはわかる。前者は黄金の山、後者は99角形。
そして「空間の論理」と「主体の論理」という二分法(51)。前者が日本語の特徴で、後者が英語・フランス語・ドイツ語の特徴。わかりにくいのは、何度も言い換えられて、しかも微妙に別の意味を含むこと。つまり容器の比喩、擬人の比喩(39、49)。
擬人または主体の論理というのは、主体-対象-動作という形式をとる(49)と定義されているので、これはわかる。英語にはいつでも主語がある、といういつもの特徴を示すからである。それに対して、空間の論理が徹底的にわからない。ベン図のことと思えばいいのか?
有名な「象は鼻が長い」を取り上げよう。これは国語文法学者の間で、積年の論争になっているもの。わたくしのような素人でも知っている。この文で主語は何だろうか。象か、鼻か。三上章は、「象は」を主題、「鼻が」は主格補語、「長い」は述語、と分類した。「象というものは」という具合に、主題を限る働きをするのが助詞「は」である。
確かに「は」と「が」の違いは決定的。「山田さんがどなたですか」となぜ言えないのか。外国人に教えるためには、「は」の後が大切、「が」の前が大切、と区分すればよい。ゆえに「どなたが山田さんですか」とは言えるのである(144)。
筆者は言う。「日本と英語の論理が違うのは、主体と空間の論理。どちらも数学の論理的操作が可能だが、日本語では空間論理が多いが、英語では主体論理が多い。比率の差」(127)としている。まさに、両者の「論理の違い」を言っているではないか。ほとんどの人は、どのように違うのか、ということから出発している。「日本語が非論理的」と言われるとき、それは「英語の論理とは違う」ことを意味するだけで、まさに「比率が違う」という筆者の結論と同じことを言っているに過ぎない。
さて筆者が危険なのは、いきなり「英語による日本語の変化を自覚し、これ以上の変化を避けよ」(163)と宣言することだ。これがイデオロギー、つまり政治信念であることをこの筆者は自覚しているのだろうか。「どちらの言語も同じく論理的」ならば、別にどちらになろうが構わないではないか、これが論理的帰結ではないのか?
最後の章のみが筆者の専門である人口知能を使った実験に基づいている。しかし日本語は母音が多い、というあまりに当然の(なにしろ子音のみでは発音不可能だからだ)事実から出発するので、その後の推論もよくわからない。
もう1つ。小学校の英語教育の不毛を叫ぶのはいいのだが、それをキリスト教系の小学校で今でも行われている事実がまず指摘される。それを筆者はそんな一部ならどうでもいいのだが、日本全体になるのがまずいのだと言う(197)。一部ならどうでもいいのか。科学者がまず取るべき態度は、この一部の小学校におしかけて、そこで右脳・左脳がどう使われているか、実証することではないのか。
さらに筆者は何度も自虐的言語観(200)と言う。このレッテルは思考停止のしるしである。自虐だの、極右だの、何かのレッテルを貼ったとたん、まるで証明しなくても良いものか、反発すべきものか、いずれにせよ、こうした言語選択をすると、その先の論理的思考が、創造的思考が止まってしまう。科学者ならば、もっと中立的な言葉を選ぶべきだろう。
いくつか教えられる部分もあったが、全体として読後が悪い。問題は「論理」という言葉を、もっとわかりやすく、丁寧に伝えるべきなのだ。「主語-述語、私は・・・だ」を標準型とする主語型、「~~に関しては・・・だ」という述語に力が入っている述語型、という具合に分ければいいだけの話ではないか。
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新宿歌舞伎町の投票所で、エロすぎる都議会議員候補に清き一票を入れた柿柳です、こんばんは。
いやあ、この都議回線は注目だね。何しろ、この結果で、東京オリンピックを誘致するかどうか決めるわけじゃないですか。あるいは新東京銀行の放漫経営の責任をとってもらうわけじゃないですか。都民としても、黙っているわけにはいかんぜよ。
しかしだ、まず言いたいことがある。一票の格差が激しすぎじゃないか、この選挙区は。だいたい千代田区なんて人がいないだろう。特例で議席が確保されているだろう。人口が増えている区や子がかわいそうだぜ。だいたい特別区ではない市町村では合併区になっているのに、なんで23区は相変わらず1区選挙なんだよ。まったくねえ。
そしてこの結果にも失望した。選挙は過半数をとることが目的なので、第一党とか関係ない。委員長に排出できる数は変わってくるけど。そして民主躍進なんて持ち上げているけど、冷静に見れば、自民公明の方が議席が多いじゃん。だいたい平和促進党なんて、改選前より1つも多いし、全員当選じゃん、100%じゃん、おかしいじゃん、幸福促進党なんて新鋭でも2800票とっていたところがあったぜ、危険な兆候だぜ。
おいおい、都議会どうなっちゃうのかねえ。どちらも過半数とれず、妥協の妥協で困ったもん。各選挙区の結果をつぶさに見れば、この結果は当然。だって、複数区でのみ民主と共産その他が入れ替わってるだけのところが多くて、1人区で自民が負けただけじゃん。
さて冒頭の落選したエロすぎる候補に入れた、というのは、当然にエア投票であった。エアギターがあるなら、エア投票があってもいいじゃないか。3592票も入るとはすごいぜ。
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珍しくコメントが2つ付いて、実は喜んでいる柿柳です、こんばんは。
わたくしのブログにはコメントが少ない。もちろん言及も少ない。そこでブログ評論家の噂を聞いてみた。なぜわたくしのブログには読まれたあとがないんでしょう、と。
ブログ評論家の意見によると、人気ブログのなんたるかがわかっとらんな、君は、ということであった。人気ブログの秘訣は次にある。
1 書き手が女。しかも妙齢。妙齢というのは妙な歳というわけでなく、性的交渉可能な、という意味。既婚、未婚は関係なし。
2 毎日更新している。
3 きれいな写真が貼ってある。
4 過激な意見が吐いてある。少数派を糾弾する場合は、なおよし。
5 過激なわりには、思いやりや配慮もときたま見せる。
6 文章が読みやすい。主語と述語のねじれとか、専門用語とか、むずかしいことは止めてくれ。
という具合だな。どれも当てはまらないわ、オレ。
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床屋に行ってきた柿柳です、こんばんは。
何しろとある小都市に980円激安カットのみ床屋が出現したという噂を耳にしたので、おっとり刀で駆けつけたのである。おっとり刀っておっとりしているのだろうか。
最近の学生は何か色気づいて、床屋ではなく美容院に行くことになっている。しかし美容院はあまりにも金がかからないか? 教科書は買わない学生も、美容院には1ヶ月に1度、8000円もかけてカットしてもらっている。この金を8分の1にして、その分、教科書2冊半買ったらどうだろう。そのために激安床屋があるのである。もちろん本当の床屋は規制価格なので、3800円とか、それなりに値段は張る。それにしても美容室の半額ではないか。
男は黙ってサッポロビール。男は黙って激安カット。
わたくしが激安カットを好むのは、徹底的に合理的なシステムになっており、ごくわずかな時間でカットのみが終了するからである。どうせ髪の毛いじっても、頭がよくなるわけではない。一カ所でじっとしているのは肩が凝るので、なるべく座っている時間を最小にしたいのだ。
一応給料が出ている身なのだが、消費行動のいくつかは、ときどき大学生のときから変わっていない場面がある。
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ブハーとエビスビール500mlを一気にあけた柿柳です、こんばんは。
もちろんUCCコーヒーと同じく、エヴァに出てくる缶ビールである。ひところずっとプレミアムモルツに浮気していたが、あまり香りが高すぎるのもどうよ、と思いつつ、再びエビスビールに戻ってきた。エビスもホップだ黒だとあまり味付けしない方がよろしい。素のエビスが最強。
というわけで、サービス、サーヴィスゥ。
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静岡知事選の結果にびっくりしている柿柳です、こんばんは。
ここではめったに政治談義はしないのだが、ひとことだけ。
民主候補と自民候補がかなりの接戦であった。民主が分裂していることを考えると、だいたい10:7の得票率になっている。実は静岡はマーケティングでは有名な所。ある程度東京に近く、ある程度独立している文化圏で、ある程度人口が多く、要するに新しい物を販売するときに、全国の縮図となるような動向を示すのが静岡なのである。ゆえに多くのメーカーがまず静岡で限定的に新製品を発売する。その結果をみて、全国展開するかどうするかを決めるのである。
それを政治に応用すると、総選挙は10:7の得票率で野党・民主党の勝ち、となる。もちろんあくまで現在の情勢を一定にして考えると、ということである。というわけで、自民はますます解散戦略が打てなくなった。もはや首をすげ替えて解散するしかない。ここまで衆議院の任期がぎりぎりまで引っ張ったのは、最近では例を見ないだろう。
さて、誰に替わるのだろう。なぜか○添さん? この人、大蔵官僚と離婚したり、教授になれなかったり、いろいろと昔は激しい噂があったのだが、なぜ最近は好感度が高いのだろう。よくわからない。ウルトラCで、やけくそそのまま東。総裁候補どころではなく、いきなり総裁ですよ。この人も昔は淫行疑惑、というより確定があったり、そのまんまであったのだが、どうしていま知事なのだろう。そして対抗馬は大阪知事かな。この人もテレビで大衆をあおったり、メガネにかえてコンタクトにしてみたりと、なかなかイメチェン中なのだが、どうしてこんなに任期があるのだろう。任期は4年か。
というわけで政治もそこそこの興味だな。
あははは、このわたくしの記述を信じたかい、全国のみなさま。全部うそである。静岡から新製品なんて嘘っぱちである。総裁候補もね。
当選したら、やはり祝電を打つべきですかねぇ、副総統。
へいたに祝電を打ちましょうか。
ヒスくん、君はバカかね。
ははは、総統もそうとう冗談がお好きで、ははは。
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海堂尊『極北クレイマー』朝日新聞社、2009.4 読了。
なんだかんだと言って、海堂の本はほとんど読んでしまっている勢い。やはりスナック菓子のような感覚であろう。なにしろ『チーム・バチスタ』があまりにもおもしろかったために、その後の話が気になって仕方内のである。
この作者、現役の医者にもかかわらず、圧倒的な読みやすさと癖のある文章で、ライトミステリー界を席巻している。どうしてこんなに話がすらすらと出てくるのだろう。出てくるキャラがあまりにも新鮮で類型的。プロの作家でもここまではできない。伊達に100万部のベストセラー作家ではない。
それにもかかわらず、今回は重い話。地方公立病院の破綻をおもしろおかしく取り上げているからである。といっても全然おもしろくない。いやキャラがおもしろいのに、あまりにも深刻な話なので、ストーリーがどうしても楽しめないのだ。
物語の肝は、尊敬される産婦人科医が医療事故として逮捕されるくだり。まったく現実の事件を下敷きにしている。北海道夕張を取材したということなので、地方の破綻も底辺にある。そして極めつけは第三者認証機関。これは人ごとではない。
格付けである。ちょっとしたその道の業界人ならば、格付け機関のばかばかしさを悟っていることであろう。第三者であるはずがないのである。だいたいは天下り機関であるか、業者から金をむしりとる悪徳業者か、業界内部のなあなあ機関か、いずれかになっている。それにもかかわらず、みんな業界外の人はだまされるのである。
ああ、第三者機関が認証するから安心ですな。なに、まだその機関がないと、遅れてますな。
などなど。大学業界もまったく同じだが、こうした第三者機関がろくなことであったためしがない。逆に、この機関に提出するばかばかしい作文を作る、派遣された査察官に対応する、なんてたいへん時間がかかる。その間、1つでも多くの論文を書き、1人でも多くの学生を相手にしている方がよっぽど健全なのである。
それなのに世の中は第三者機関ばかり。本書ではその極限までのばかばかしさが、劇画化されて描かれている。まさに極北の寒さである。
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飯間浩明『非論理的な人のための論理的な文章の書き方入門』ディスカヴァー携書 2008.12 読了。
題名が長すぎる。・・・ための というのは形容句であるが、特にいらないだろう。この新書はほとんど見たことがないもの。どこの会社が出しているかもわからず、なにしろ新書なのに1000円するから、めったに買う人はいないのではないか。しかしラインナップはなかなかおもしろそうな題名があり、大型書店に行って、手に取ってみるのも良いだろう。地方にいる人には、一度も見たことがない人が多いはずだ。
この手の本はできる限り買うことにしている。あとからあとから大量に出てくるのだが、何かしら新しいことがすぐに役に立つことが書いてあるかと期待してしまうからだ。今日、大学教員のほとんどは導入科目を担当しており、大学1年生にあれやこれやと、手取り足取り、何かしら大学なるものを教えなければならないのだ。その筆頭が、レポートの書き方。
この本には新機軸があった。レポートや論文や企画書や提案書は、「クイズ文」という特異な形態があると主張する点である。いや、その中身ではなく、この名付けが新機軸だ。クイズ文とは何か。問題、結論、理由がこの順でセットになった文章群である。本書は大学の授業の中で、クイズ文をみんなが書けるようになる指南書である。
問題 →→→→ 結論
↑
理由
この構図はトゥールミンモデルとそっくりだ。単純化されて歪曲化されたこのモデルでは、データ、理由付け、主張、という三要素がある。この本の筆者はこのモデルを知っているのだろうが、それは用いず、上記のような設定をしている。その発想は、多湖輝『頭の体操』にある。この本は1960年代から20年以上もベストセラーになっていたクイズ本であり、発想の転換を促すという点でまことに名著と言える楽しい本であった。筆者は、伝えるべき文はクイズ文になっていると発見する。
問題文は「・・・か」という形式。この語尾こそ、読者に考えてもらうスイッチとなる。「俺は腹が減ったな」では何も問いかけにならないが、「晩飯何にしようか」と聴いたとたんに、相手は考え出す。結論は1つだけ。読者に賛成か反対か、どちらかの意見を生じさせる。理由は問題から結論にいたる自然な道筋の解明(59)。
クイズ文の対極にあるのが「日記文」。事実から感想へ、という流れのみ。実は感想文でも新聞コラムでもブログでも、ほとんどがこの形式。感想に反論をしてもムダ。主観だからである(92)。
クイズ文にも4つの形式がある。肯定否定型。単純。How型、課題解決。wh型、択一。why型、理由探求。この順でむずかしくなる(115)。
不適切な問題設定がある。漠然としたもの、主観的な要素が混入しているもの、議論の余地がないもの(174)。問題の述べ方が悪いものも多い。問題が不在、複数、範囲が不明瞭、回りくどい(194)。理由は少なく、証拠は多く(232)。
ディベートの方法をかなり詳しく説明している。ただクイズ文を書かせるといっても、授業では800字ほどが限界なようであり、少々短すぎるか。ただ、初学としては充分かもしれない。理由を書くには、かなりのデータを集めないと無理だからだ。主観だけでは理由が脆弱ということがわかってくれれば、自然とデータや典拠の収集に向かうだろう。
この本は買うに値する入門書だろうか。値する。なぜなら、クイズ文という目新しいレッテルがあり、問題設定や理由付けの適切さを丁寧に例示しているからだ。
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首藤 瓜於 『刑事の墓場』講談社文庫、 2009.4 読了。
江戸川乱歩賞の『脳男』で有名な作家。わたくしもこの人を覚えていた。何しろ強烈な題名なので、容易に覚えることができるのだ。しかしそれと反比例する形で、どんな話だったかなと思い出すのも困難だ。アマゾンのレビューを見ても、あまりおもしろくないとする人々が多い。
というわけであまり期待せずに買った。どうしても電車の中で読むミステリが必要だったからである。結果的には『脳男』よりはおもしろいのではないか。
ある破滅的な警察署がある。全員が左遷組。捜査本部も開かれたことがない。そこに、やる気を失ってしまった元上昇志向の刑事が赴任してくる。ひとくせもふたくせもある刑事たち。相容れない。そこになぜか傷害事件が出てくる。可憐な女子大生登場。
というわけで、にわかに女子大生に肩入れする。なぜこの女性は不可解な行動をとるのか。興味を覚えたこの左遷刑事が、アパートを訪ねてみると、そこには既に絶命していた女性が横たわっていた・・・・、というような話。
最近は警察小説も多いので、似たような話では駄目。途中まではまあ少しはおもしろいのだが、後半では失速する。女子大生に大きな謎があるのかとも思ってみたが、どうなのか、という具合。真犯人が二転三転するが、この犯人で良いのかという具合。最後の秘密洞窟は何だろう。
というわけで、あまり勧めるつもりはない。
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中川淳一郎『ウェブはバカと暇人のもの:現場からのネット敗北宣言』光文社新書、2009.4 読了。
気が滅入る本である。ひところウェブ2.0とか、ウェブ進化論とか、楽観的で万能感のあるネット論がはやった。本書はまっこうから反対する立場。ニュースサイトの編集者という現場にいて、こうした楽観はまったくの間違いで、現実はもっとバカバカした世界であると断言した新書。
最初の読後感想は、品がない文章だな、志も理論もないな、という身も蓋もないもの。1973年生まれというから、けっして若くはないだろうが、日本の若手ビジネスマンってこんなもんしか書けないのか、というやや雑然とした感触をもつ。この人、一流大学を出ているのにねえ。
それは一読して、リード文などでわかっていたが、それでもネットというまったく自分が知らないだろうから、何かしら資するところはあるだろうと買ってみた次第。
世の中には「怒りの代理人」がいる(39)。傷ついている人がいるじゃないですか、謝罪しろ、という要求者である。暇人にとってネットは気軽な娯楽。安い(60)。ネットはプロの書き手にとって、もっとも不自由。不用意な一言で炎上するから。ネットが自由と思っているのは、失う名声や金がない人々(90)。
ネットで受けるのはB級ネタ。テレビで人気あるもの(105)。雑誌とネットは関係ない。雑誌で何がはやろうとも、ネットとは無縁(128)。
実はテレビの影響力が非常に大きいということがわかる。テレビではやったことが、次にネットのニュース速報に流れ、それが巨大掲示板を動かす、という流れ。そしてネットのほとんどは暇人という失うものがない匿名に左右されているということ。だから容易に流行がおこる。
全くその通りの結論だ。そうなのだが読後が悪い。よくわからない本だ。失うものがあるプロは、ネットとのつきあいを最小限にしている。
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さいきん、精神がささくれ立っている柿柳です、こんばんは。
さてエヴァである。今回、感心したのは挿入歌。3つあるのだが、そのうち1つしか公式には発表されていない。宇多田ヒカルである。ファンらしいので、追っかけで今回もエンディングテーマを歌っている。これはなかなかよろしい。
しかしまだ明かされていない歌が2つもあるのである。これは1970年代にはやったとある歌なのである。しかもわたくしの持ち歌なのである。これにはまいった。まさか、という選曲であった。1つは森山良子なのである。もう1つは赤い彗星ならぬ鳥なのである。これにはまいった。
悲惨な戦闘シーンで、このゆっくりした曲が、これでもかという意味深な歌詞とともに、流れる。まいった。今までエヴァといえばクラシック音楽であったが、このようなゆっくり目曲であるとは。このシーンを見るだけで映画に行く価値があるだろう。
さて、新キャラであるマリである。今までのキャラを破壊する者、という位置づけで登場。14歳なのかどうかもわからないが、何しろメガネっ娘で匂いフェチという最強のキャラになりそうな予感。今までのエヴァ搭乗者とまったく違う性格。次作以降の鍵になりそうだ。
そしてわたくしのお気に入り、アスカ・ラングレー。いや、なんとテレビ版ではありえないお色気シーン満載である。これにはまいった。ますます俺様キャラがひかる。こんな美少女に罵倒されたい人は、いますぐ映画館に走るべきである。
考えてみれば、Mっけの人、Sっけの人、どちらにも対応できるキャラクター集合になっているな。
壊れた人ばかりで、それにもかかわらず、14歳少年少女の運命共同、親と子の葛藤、大人と子供、といった普遍的な葛藤が描かれている。話はよくわからないものの、こうした断片的な関係性が取り上げられることが、エヴァの人気につながっているのだろう。
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東京出張のついでに『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』を見てきた柿柳です、こんばんは。出張目的は「エヴァにおける人類保管計画の実現可能性について」という題名であった。
わたくしは古い人間であるから、アニメ世代といっても1970年代の「宇宙戦艦ヤマト」で止まっている。1980年代の「機動戦士ガンダム」も実はようやくひいこらと見ていただけなのだ。当然のことならが、ファーストガンダムしか追いかけていない。というわけで、1990年代を代表するこのアニメはいちおう見ているのだが、世代が違いすぎて、よくわからないというのが本音なのである。
とはいえ、様々な意匠を凝らしてあるので、何かを語りたくなる文芸対象ということであろう。昔であればそれは文学であったが、今は漫画にアニメに、大きく人々の対象が移動している。それほど文学には力がないし、2次元の映像に力があるということだ。
さて、90年代を代表するわけだが、それから15年たっても、まだ一線で活躍するアニメとなっている。今回、新しくファンになった人々もいるであろう。とすると2000年代を代表するアニメがよくわからない以上、このブームは15年続いていると言っていいのではないか。ちょうどガンダムが何度も何度も別物語で名前と世界観が続いていると同じように。この辺、ときどき思いついたように、亡霊のように蘇るヤマトの新作とは違う。ブームを作ることができないからだ。
さて、とりあえずコンプリートのDVDはもっているので、テレビ版も旧映画版もまあ見ているわけだが、何しろ意味深長な設定や話運びや終わり方なので、実は総監督は結末をつじつま合わせられるように考えていないのではないか、という疑念がずっとつきまとっている。今回は新作の2作目であるが、1作目と違って、徹底的に設定を新しくしてきた。もちろんテレビ版にも基づいているのだが、新キャラを出したり、設定を違えたり、新たなほのめかしをしたり、とかなり忙しい。
そして結論を言えば、かなり、いや相当におもしろい。様々な場面で満足できる。この世界に没頭できず、あまり設定も知らない自分であるが、それでも総合点でかなり上に行くできであった。映像も、話も、である。不覚にも感動すら出てきそうな話である。何よりも色気満点であり、2次元美少女キャラが好きな全国のもてない男諸君は、いますぐに劇場に走らなくてはいけない。
実際、劇場は満杯であり、8割方は20代の男であった。
そして、エンドロールが始まってから席を立つのは素人である。その後、この映画の最大の見所が始まる。4部作らしい。これが完成するのはいつだろうか。次作は少なくとも2年後だろう。完結は5年後か。
いや、あんたバカアとアスカくんに怒られたい男子に、最適な映画である。ぐだぐだシンジくんも、不気味だがちょっと改心したレイくんも、謎がさらに強まったカヲルくんも。
もう1度、劇場で見るつもりである。オレも若いな、いや暇だな。
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