fc2ブログ
2010/05/25 (Tue) Jリーグ100年構想

日韓戦を見た柿柳です、こんばんは。

こりゃ絶望的だな、W杯は。1点も取れないまま、終わるかもしれない。

兆しは数年前から訪れていた。オシムが倒れたのが日本の運の尽きであろうか。しかし最近の代表のていたらくは、実は代表監督だけの責任ではない。日本の選手全体の力が落ちてきている、というのが素直な観察結果であろう。

その証左はアジア・チャンピオンリーグであろう。日本のチーム4つはすべてベスト16にもなれずに敗退した。数年前は優勝したり、せめてベスト4に1つは残っていたのにである。対戦相手は韓国だけでなく、中国にも負けている。鹿島が負けたのにはショックであった。いまJリーグで一番という外国人監督を有しているのに、あっさりと負けてしまったのである。

つまり監督が有能でも補えない力の差があるということだ。この状況はちょうど、中村俊輔や遠藤の力がだんだん落ちていくように見えたここ1年・2年の出来事に符合している。その間、新しい若手がバリバリと出てくればよかったのだが、そして何人かはいるはずなのだが、代表で結果を残せていない。いわゆる「のっていない」のである。

さて本番のW杯はどう見据えるべきだろうか。ここは長期的視野にたって、Jリーグ100年構想に返るべきだろう。すなわち100年間の間にJリーグの理念、地域密着型サポーターを推進すべきではないか、そしてその間にW杯ベスト4を窺える戦力を身につけること。1993年にJリーグが発足してから17年たった。ほぼ5分の1だ。まだこのぐらいでもあるし、もうこの時期でもある。

http://www.j-league.or.jp/100year/about/

この理念がどれほど根付いているのか。それは選手やコーチだけでなく、見る方にも求められる審美意識である。それゆえ、この南アフリカ大会の結果を直接嘆くのではなく、どのように変えていくか、という暖かい積極的な批評精神が必要であろう。

スポンサーサイト



雑感 | trackback(0) | comment(0) |


2010/05/24 (Mon) 懐メロ

最近、懐メロばかりの柿柳です、こんばんは。

もう完全に20歳前後で記憶が止まっている。それ以上は学習効果が働いていない。何も吸収できないということだ。

「好きな女に裏切られて
笑いを忘れた道化師が
すがる失恋レストラン
もうおどけることもない 今は
ネェー マスターつくってやってよ
涙忘れるカクテル」

「皆 帰ったその後で
強がりいってたこの俺は
ひとり失恋レストラン
まだ恋したこともない ソーサ
ネェー マスターラストオーダーは
失恋までのフルコース」

この歌は様々な経緯があり、二度とテレビでは流れことはない封印された歌である。

雑感 | trackback(0) | comment(0) |


2010/05/21 (Fri) Sayonara

さよなら、とつぶやいた柿柳です、こんばんは。

The time to come will come
And you will go alone
Keep to your heart
SAYONARA

And so my friend
Now it must end
Now you are grown
I can't stay on
Think of the memories we've known
Carefully feeling your way
You're getting stronger each day
How can I find words to say
I'll miss you


これを唄っていた歌手Mary Macgregorは実力派だったのに、すぐに引退してしまったのか、もう歌は聴けない。もう30年前の歌であった。

雑感 | trackback(0) | comment(2) |


2010/05/20 (Thu) 悩みのタチ

本能か文明か、それが問題だと喝破した柿柳です、こんばんは。

あれ、看破した、の方がふさわしい表現かな。



例によって発言小町を見ていたら、トイレにスリッパを置くべきか、というスレッドがあった。けっばかばかしい、と思いつつ、熱心に見る。すると本題とは関係なく、「うちは旦那に座って用を足すように命令してますけど」という勇ましい妻たちがいっぱい存在することを知る。

なにい。そこまで旦那たちは去勢されているか。フフフ、そこでテキスト庵の旦那諸君に緊急アンケートである。あなたは小用を足すときに、妻から座って行えと命令・説得されてますか?


フフフ、何を隠そう、私は立ション主義ですよ。小便小僧が座ったら観光客が来ないじゃないですか。西郷隆盛だって、りりしく立像じゃないですか。やはり男子たるもの、立たないとダメじゃないですか。あっごめんなさい、意図せざるダブルミーニングでしたな。よい子は早めに寝ましょう。


しかし座れという妻の説得も合理的である。何しろ、立って行うと10dl/sの飛沫が飛ぶという実験結果もある(嘘です)。床をいつもいつもきれいにしなければならない立場からすると、いい加減にせいよ、と言いたくなるのもわかる。

しかし、しかし、男子たるもの、やっぱり座ってはねえ、構造的にねえ、という事態にもなっているのである。どうしたらいいだろう。


実は懸命なる淑女諸君も気づいているように、単に座ったからと言って、飛沫が飛ばないということはないのである。特に男子の構造上、朝はだめである。いやダメなことが多い、というぐらいが正確か。立とうが座ろうが、どうせあさっての方角に行くのである。

さて、ではどうすれば良いか。1つの解決方法は、男子小用専用便器を併置することだな。田舎の家にはよくある。これで少しはましに。しかし根本的な解決は、機関から容器への空間を最小化することであろう。チューブでも付けますか、宇宙空間のように。確かに売れそうだな、これ。


さ、あなたの家庭ではどうなっとるかな。わたくしの家庭ではどうせわたくしが掃除をするので、どっちでもいいんですよ、がはは。

雑感 | trackback(0) | comment(0) |


2010/05/18 (Tue) 僧正殺人事件

ヴァン・ダイン『僧正殺人事件』創元推理文庫、2010.4 読了。

あまりに古典的な、あまりに古典的な本格推理小説。いや探偵小説と呼ぶべきだろう。何と、新訳である。これを皮切りに全12作をすべて翻訳しなおすというから、壮大な計画である。

さて、探偵小説の白眉、黄金時代を象徴する名作中の名作。この小説を読んでいないミステリ愛好家がいるとすれば、あまりにも幸福である。これから十分に堪能できる機会があるからである。1929年のアメリカ産。まさに大恐慌の直前に発表された爛熟する世界。イギリスの貴族趣味とアメリカの大衆趣味を完全にミックスしたファイロ・ヴァンスの世界。そのあまりにペダンティックな世界観は、類書を斥ける圧倒性を持つ。

思えば数十年前に読んだものだ。今回、改めて新訳を買い、再読してみた。だんだんに思い出してきて、最後は犯人も思い出した。しかしそれは小さな不幸に過ぎない。この世界観を読み込めるという幸福の方が圧倒的に大きい。

マザーグースに基づいた連続殺人! 現代科学の粋を総動員した推理合戦と犯人の狡知! なぜ戦間期にこれほどの傑作が次々と生まれたのか。その謎はいまだに解けない。生涯に12作のみを発表し、そのうち自分の予告通り、6作だけが傑作と認定される。あまりにも予定調和な作家活動!


(A)「あの男だけはいつも心理のバランスを保っていた。つまり、長きにわたる難解深遠な思索から生じる感情を、いつも解放するすべを心得ていた。平常の、口先に表われる嗜虐的な皮肉な態度と、急激な殺人衝動とは、心理的に同類なんだ。冷笑癖を思うぞんぶん発揮していれば、抑圧された感情の不断のはけ口となって、情緒のバランスを維持できる。皮肉で嘲弄癖のある人間はつねに安全なのさ。」

(B)「対照的に、自分の嗜虐性を抑圧して鬱積させながら、うわべだけはまじめな禁欲的な体裁を取りつくろっている人間な、いつなんどき危険な爆発を起こすかわからない。」(406)

さ、これがファイロ・ヴァンス名探偵の心理的分析というものである。これがどの程度、現在でも妥当性があるのかわからないが、なかなか人間の本質をついていないか。あるいはネット社会における匿名性の利点や、あるいはそれこそ残虐な本格ミステリの利点を示しているだろうか。

さて、あなたは(A)か(B)か、それが問題だ。Bishopのみが決められる。

雑感 | trackback(0) | comment(0) |


2010/05/17 (Mon) 左きき

私の彼は左きき~と唄った柿柳です、こんばんは。


「小さく投げキッス する時もする時も
   こちらにおいでと 呼ぶ時も呼ぶ時も
   いつでもいつでも 彼は左きき

・・・

あなたの真似して みるけれど
     私の右きき直せない 意地悪意地悪なの」


軽妙な歌である。伝統的に左利きは色々な点で不利だと言われ、幼い頃から矯正される運命にあった。今ではそんなことがあるのかどうか知らないが、当時まではそのような風潮は当然のこととして受け止められていていた。

そこにこの歌である。そして星飛雄馬の伝説である。とおちゃん、オレはやるぜ、巨人の星になるのだ、という関西圏では流行らなかったはずのスポコン(=スポーツ根性もの)マンガのせいであった。飛雄馬は左ききなのである! その天賦によって、巨人の星に上り詰めるのだ。ついには左手が麻痺し、ついには右手を使うことになるのだが、それはそれで後日の話し。

そしてこの麻丘めぐみの歌によって、左ききは市民権を得た。


しかし例によって、この歌の引用最後の部分がわからない。なぜいじわる、い~じわるなの、なのだろうか。なぜ彼氏が左ききで、自分が右ききだたと、いじわるな状態になるのだろうか。

ひょっとすると、フレミング左手の法則が関係しているのか。疑問は尽きない。

雑感 | trackback(0) | comment(0) |


2010/05/16 (Sun) 本格ミステリ大賞

ミステリファンの柿柳です、こんばんは。それも本格ミステリのね。

本格ミステリ作家クラブ

本格ミステリ大賞が決まった。何と歌野晶午『密室殺人ゲーム2.0』が同時受賞だというから恐れ入る。確か第一作の方も大賞を取ったのではなかったのか。見事な差配である。書く方も評価する方も。

想像力が欠如している方面からは、モラルがない気持ち悪い作品、という一瞥しかもらえないだろう。それほどインモラルな話。しかしそれこそが人間の本質。そしてそうした人間の本質に迫るのが文学作品の常というもの。本格ミステリはこうした文学作品の中で、コードに従った物語の展開が強制される。その中でさらに新味を出さなくてはいけないとは、細々と細るのも仕方ない。

それでもこんな作品が描ける。絶対に不可能だと思われた続編も整いつつ。未読ならば、もちろん第一作がら読まなければならない。

雑感 | trackback(0) | comment(0) |


2010/05/15 (Sat) 誰もいない海

誰もいない海、とつぶやいた柿柳です、こんばんは。

「誰もいない海
二人の愛を確かめたくて
あなたの腕を すりぬけてみたの」


冒頭の歌詞である。「17才」という伝説的な歌であった。知らない諸君はすぐにカラオケで検索し、一曲歌って欲しい。それはともかく、謎の歌詞でもある。愛を確かめるために、なぜ腕をすりぬけなくてはいけないのか。長年の疑問であった。いまだに解けない謎である。

(1)愛、現在進行形の場合
相手に関心があるため、すりぬけさせない、そのままくすぐる、という暴挙に出るのである。

(2)愛、破局の場合
相手に無関心なため、そのまますりぬけさせる。

ということなのだろうか。


さて、この歌を歌っていた歌手を知っているだろうか。

(い)南沙織
(ろ)森高千里

正解は後ほど。

雑感 | trackback(0) | comment(0) |


2010/05/14 (Fri) 不幸から逃れる悪手

ダークなハートの柿柳です、こんばんは。

そのダークさはあなたの想像を超えますよ。


人間が不幸を感じるとき、自分は世界で一番不幸だと実感されて、その実感がまた不幸を増長させる。その時に不幸の感覚から逃れる様々な手段のうち、普遍的な悪手が1つある。

それは自分よりも不幸な、下位にある人物を認識することである。

これこそが、江戸時代を形成した身分制度の本質であった。士農工商という4つの階級がまず見事である。本当は裕福な商人が一番下にあり、本当は一番苦しい農民が二番目に祭り上げられている。そしてさらに巧妙なのは、この4つの階級の埒外に、穢多と非人という身分を置いたことだ。


ある集団を一括りにして、積極的にせよ消極的にせよ、見下す対象とする。主観的には哀れと思う対象である。これこそが人間の本質を形成する自己保守の手段であり、逃れられない性である。

雑感 | trackback(0) | comment(0) |


2010/05/13 (Thu) ヤワラの道

柔らの道も険しいのう、とつぶやいた柿柳です、こんばんは。

ヤワラちゃんが国政に打って出るという噂を聞いて、久しぶりに爽快感を得た。何しろ、ヤワラちゃんが初めて男を投げ飛ばし、その愛くるしいパ○○○を披露してからというもの、ずっとファンなのである。あ、それはマンガの方か。

それはともかく、ヤワラちゃんは標語が好きである。バルセロナでも金、谷でも金、ママでも金、何でも金、金でも金。ここまで金に拘るとはすがすがしいではないか。

ヤワラちゃんが池にメダルを落とした。神様が聞いたとさ。「おまえの落としたメダルは何色だ」「もちろん金です」「なんと、おまえが落としたのは銅だぞ」「それは前回のメダル。その前は金。その前は銀だけど」「・・・よかろう、それも人生なり」というような会話があるに違いない。


いや、ここまで貪欲とはすばらしいではないか。しかもそれを実行して実現して実物になってしまうのだ。そのような努力の天才について、われわれ凡百が何を言っても無駄である。単に戯れ言である。次の標語はこうではないか。「議員でも金、ぎいんでも金。ぎんが入っているけど金」

すばらしきかな。この生きる目標は。

雑感 | trackback(0) | comment(0) |


2010/05/12 (Wed) サッカー日本代表の応援

日本代表の発表を聞いていた柿柳です、こんばんは。


オレは滅多に人のサイトを褒めないが、今度ばかりはクリタさんの提案は良いね、と賞賛したい。なるほど、自分たちで1人だけ代表選手を選出するというアイデアは思いつかなかった。23番目を自分たちで選ぶ、ということか。ま、当然に実名の投票にしておこう。そして投票者から数名、W杯に招待し、その選出選手と現地で握手する、というのはどうだろう。このあたり、本物の広報担当広告代理店が介在して、実現できそうな気がする。ただし4年後だが(いやもしかすると予選敗退するかもしれないので、もっと先の話かも知れないが)。

残念ながら他の多くの人々と同じく、今回の日本代表にはワクワク感があまりない。一番うまい中村俊が故障などでうまくピークではないし、日の出の勢いの本田はムラがあるのでチームやゲームにフィットしないことも多い。得点が取れないのは相変わらず。

フランス大会の時は、その直前、日の出の勢いでハットトリックの世界新記録を打ち立てていたゴン中山が、それでもようやく3試合目で1点あげただけであった。クロアチア戦の惜しいシュートが入っていれば、また日本のサッカーの歴史も変わっていただろう。あと数センチのズレがそのまま厳しい勝敗の差となったのである。

日韓大会の時は、あまりに地の利がありすぎた。この経験はかなり割り引いて考えるべきだろう。とするとホーム以外で日本は勝利したことがないのである。それゆえ、まず得点1、勝ち点1、勝利1というのが現実的な目標ではないか。もちろん大言壮語の目標があってもいいのだが。絶好調の中山でも1点であったのだ。いま好調のFWは誰もいない。とするとむしろその下が頭脳的に得点するしかないのかもしれない。

1勝1敗1分というのがいつの間にか一人歩きしたフランス大会における岡田監督の目標であった。あれから12年。日本のサッカーはどれほど進化したのだろうか。その歴史的事実を確かめる時が来た。



はは、久しぶりにサッカーネタだったな。書き方を忘れちゃったよ。

雑感 | trackback(0) | comment(0) |


2010/05/10 (Mon) モヤモヤする

血液型占いと世代論は似ているな、と感じた柿柳です、こんばんは。


その心は、どちらもアバウトでモヤモヤ感いっぱい、ということかな。
十把一絡げ、という慣用句を思い出す。平均と偏差を思い出す。

ところで、発言小町をチェックすることが日課になって困っている。このサイト界隈には暇そうな老若男女が独断と偏見でトピ主という発言主体を切りまくる。それが爽快であったり、老獪であったり、暗晦(くらいこと)であったり、慰解(心からなぐさめること)であったりする。おいおい、この2つをひねり出すのに、広辞苑逆引き辞典まで使っちまったわい。

だいたい姑嫁問題だったり、ママ友問題だったり、要するに近傍の人間関係である。けっくだらねえな、と思いつつ、何かしらクリックしてしまう魔力を持つサイトである。オレ、こんなサイト見てる場合じゃないんですけど。


そしてそのサイトは世の中のトレンドつうか、傾向つうか、蛍光灯を示してくれる。そこでわたくし柿柳は大発見した。フフフ、オレも大天才かな。天才は忘れた頃にやっと来る。

それは、「モヤモヤする」という表現が、とてつもなく流行っていることだ。何でもかんでもモヤモヤ、いつでもモヤモヤ、それでもモヤモヤ、もうもうモヤモヤ。どのトピックを開いても、モヤモヤが消えることはない。

いったいこのモヤモヤとは何なりや?

うまく表現できない不快な気持ち? 深いなあ。
胃がむかむかする気持ち? そりゃムカツクだな。ムカツクの現代的な表現だろうか。
単に脳梗塞じゃないの? 早めに病院に行ったら?


というわけで、モヤモヤしています。誰か助けて下さい。

雑感 | trackback(0) | comment(0) |


2010/05/09 (Sun) 毎日更新しない

毎日更新しないのが鶏ガラの柿柳です、こんばんは。

やっぱり全然更新していないと、こんなつまらないブログなんか、自分で忘れてしまいますな。パスワードも忘れ、ブログのアドレスも忘れ、おまけに文体も忘れてしまった。普段はわたくし、全然違った文体で書いて全然違った人格を演じてておるので。

書くことがない、というのが正直なところかな。書いてもつまらないということかな。しかし、あの人気ブロガーとこりさんが1週間限定で日記を付けるらしいから、わたくしも連続とはいかないが、少しは付けてみるか。その際、ネタがないので、もっとも安易な方法は他人のブログにケチ、いやコメントを付けることである。週刊誌がよくやる手法である。いろいろと他人の文章やインタビューで誌面を埋めておいて、最後に一行だけくだらない、身のふたもない一文で終わるやり方である。例によって、別に双方向は期待していない。

>ミソジさん

Back to Tokyoとこの辺の集落、というギャップがありますな。東京都の中の村ということでしょうか。

>江草さん

わたくしも逆張りいたします。

>かじりんさん

仲の良い兄妹ですな。

>クリタさん

わたくしも手抜きのです。

>Bellさん

学校行事における掃除はなぜ必要なのか。生徒を納得させる論理がよくわかりません。アメリカ出羽の神では、生徒が掃除することはなく、掃除のおばさんが仕事として掃除します。この論理が日本で働かない理由は何か。単なる躾でしょうか。いや、詰問しているのではなく、単純に知りたいだけ。

>雪見さん

村上も古いとしたら、今は何が新しいのでしょう。そしてその新しさは何年後に古くなるのでしょう。

>toshikkさん

すばらしき仲間たちですね。

>りなこさん

わたしの心も折れまくりです。


****

こんな程度のメモでいいかな。

雑感 | trackback(0) | comment(2) |


| TOP |

プロフィール

profky

Author:profky
FC2ブログへようこそ!

最新記事

最新コメント

最新トラックバック

月別アーカイブ

カテゴリ

検索フォーム

RSSリンクの表示

リンク

このブログをリンクに追加する

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード

QRコード